氷点下でも凍らない「過冷却水」の中で、水素をつくる触媒がなぜか一番長持ちする――理化学研究所(理研)の研究チームは、水の電気分解で水素を生み出す酸化マンガン触媒について、0℃付近で劣化が最も抑えられ、さらに冷やすと逆に劣化が速まるという、一筋縄ではいかない挙動を発見した。再生可能エネルギーで作る「グリーン水素」の普及を左右する触媒の寿命に、温度という新しい切り口が見えてきた。
原題(Title): Cooling Water to Near Freezing Breaks the Activity-stability Trade-off of Water Oxidation Electrocatalysis
著者(Authors): Wardhana, A. C. ほか
掲載誌(Journal): Nature Chemistry
DOI: 10.1038/s41557-026-02274-8
電気分解触媒が抱える弱点
太陽光や風力でつくった電気を使い、水を水素と酸素に分解する「水の電気分解」は、二酸化炭素を出さずに水素を作る「グリーン水素」技術の主役として世界中で開発が進んでいる。水素は発電や製鉄、輸送燃料など幅広い分野で化石燃料の代わりになりうるため、脱炭素社会の鍵を握る存在だ。しかし電気分解で酸素を発生させる側の電極は、触媒にとって非常に過酷な酸化環境にさらされる。使い続けるほど触媒そのものが少しずつ溶け出して劣化してしまい、交換や補修の負担が水電解の運用コストを押し上げる一因になってきた。
反応速度か、触媒の寿命か
化学反応は一般に温度が高いほど速く進む。これは「アレニウス則」と呼ばれる化学の基本法則で、電気分解の反応速度を上げたいなら温度を上げるのが定石とされてきた。ところが温度を上げれば触媒の劣化も同時に速まってしまう。逆に温度を下げれば触媒は長持ちしやすくなるが、今度は反応そのものが遅くなる。つまり「反応を速くするか、触媒を長持ちさせるか」のトレードオフから逃れられない、というのがこれまでの前提だった。
0℃付近が一番長持ちする発見
理研の中村龍平チームディレクター(東京科学大学 地球生命研究所教授)らの研究グループは、酸化マンガン(MnO2)を触媒に使い、電解液の温度を80℃から氷点下12℃まで変えながら、酸素の発生速度と触媒の劣化具合(マンガンが溶け出す量)を詳しく測定した。その結果、温度を80℃から0℃付近まで下げていくと、酸素発生の速度も触媒の劣化速度もともに遅くなるが、劣化の方がより大きく抑えられることが分かった。つまり0℃付近では、酸素発生反応の速度低下を伴うものの、触媒の劣化をそれ以上に抑え、寿命を延ばせる条件が存在していたのだ。実際に一定の電流を流し続けて寿命を調べる実験でも、触媒は0℃付近で最も長く持ちこたえ、さらに冷やすと再び寿命が縮むという、山型の関係がはっきり確認された。
「アンチアレニウス」現象の正体
さらに意外だったのは、0℃より低い温度での挙動だ。0℃以下では、冷やすほど逆に触媒の劣化が速くなる「アンチアレニウス」挙動が現れた。マイナス8℃の電解液は2℃のときより濃いピンク色を示したが、これは劣化に伴って生じる過マンガン酸イオンの増加と整合する変化だという。
0℃以下では、冷やすほど逆に触媒の劣化が速くなる――通常の化学反応とは逆の「アンチアレニウス」挙動が確認された。
鍵を握るのは、0℃以下でも凍らずに液体のままでいる「過冷却状態」の電解液だ。ラマン分光法で水の分子構造を調べたところ、過冷却状態では水素結合のつながり方が0℃以上の水と大きく異なっており、研究チームはこの構造変化がマンガンの溶出に影響し、劣化を加速させている可能性があると考えている。
触媒の耐久性を高めるには、これまで材料そのものの組成や構造を工夫するアプローチが重視されてきた。硫黄を使った新素材で太陽光から水素をつくる研究のように、安価な水素製造を目指す技術開発の多くも、材料面の工夫が中心だ。今回の研究の特徴は、材料を変えるのではなく、反応環境の「温度」を調整することで触媒の活性と安定性のバランスを制御できる可能性を示した点にある。
低温環境から宇宙への応用
研究チームは、温度を新たな設計の手がかりとして使えば、触媒の「活性」と「安定性」を両立させる設計指針が開ける可能性があると見ている。この知見は、寒冷地や極地で稼働する電気化学システムの設計に加え、地球外天体などの低温環境で起こる電気化学反応を理解する手がかりにもなりそうだ。研究チームはこの発見を、国連の持続可能な開発目標(SDGs)のうち、安全な水の確保とクリーンエネルギーの普及にも貢献しうるとしている。成果は2026年10月21日、学術誌ネイチャー・ケミストリーに掲載された。
まとめ:温度という新しい設計軸
触媒の性能は、材料の組成や構造だけで決まるわけではない。温度という身近な条件を変えるだけでも、反応と劣化のバランスは変わりうる――それが今回の発見の核心だ。すぐにグリーン水素の価格が下がるわけではないが、触媒を「何でつくるか」だけでなく「どのような環境で使うか」から設計するという新しい視点は、今後の電解槽開発における一つの指針になりそうだ。
Xsciens編集部の読み解き
直感に反する「冷やすほど長持ちし、冷やしすぎると逆に劣化する」という山型の関係が、この研究の核心です。
- 「長持ち」は「速い」ではない。0℃付近では酸素発生の速度も落ちています。劣化の抑えられ方のほうが大きいため寿命は延びますが、「遅くなる代わりに長持ちする」という取引が前提になっています。
- 一般化の範囲に注意。測定の対象は酸化マンガン触媒で、温度は80℃から氷点下12℃までです。ほかの触媒や、実際の電解槽の運転条件で同じ山型の関係が成り立つかは、この記事の範囲では示されていません。
- 「すぐに安くなる」わけではない。記事も述べているとおり、グリーン水素の価格がすぐに下がるわけではありません。今回の価値は、触媒の材料だけでなく「使う環境」からも耐久性を設計できると示した点にあります。0℃以下で劣化が速まる原因も、水の構造変化が影響している「可能性」の段階です。
この読み解きの参考: 理化学研究所 プレスリリース、原論文(Nature Chemistry, DOI)
出典: 理化学研究所プレスリリース「0℃付近で長寿命化する水の電気分解触媒」、Nature Chemistry (DOI: 10.1038/s41557-026-02274-8)

