転職先を選ぶ。買う商品を選ぶ。二つの選択肢から一つを選ぶとき、脳は単に「どちらの価値が高かったか」という情報を保持しているだけではない。MITの新しい研究によると、意思決定が成立すると、脳内では二つの選択肢を表す神経活動のパターンが再編成される。それまでは「最初に提示されたか、2番目に提示されたか」という順序で情報を整理していたが、選択後は「選ばれたか、選ばれなかったか」という基準に切り替わる。この発見は2026年9月、学術誌iScienceにオンライン掲載された。多数のニューロンの活動をまとめて解析することで、意思決定に伴って神経表現がどのように再編成されるかを示した研究だ。AIを使った実験ではないが、状況に応じて内部の表現を柔軟に更新するAIの設計を考える研究者にとって、参考になる事例と言える。
なぜ「決める瞬間」を観察しようとしたのか
前頭前野は、脳の前方に位置し、意思決定や作業記憶などに関わる領域だ。選択肢を比較し、意思決定を行ううえで中心的な役割を担うことは、以前からよく知られていた。この領域では、一つのニューロンが複数の情報に応じて活動を変える「混合選択性」という性質が知られている。ただ、はっきりしていないこともあった。ごく短い間に評価した二つの選択肢を、脳はどうやって混同せずに扱うのか。特に、一方を選び、もう一方を退けた後はどうなるのか。これを確かめるため、MITの大学院生リー・フイディ(Huidi Li)氏と、同大学ピッカウアー学習記憶研究所のアール・K・ミラー教授を中心とするチームが、答えを推測するのではなく、ニューロン一つ一つの活動を追跡することにした。チームには、ニコラオス・クリサンティディス氏、スコット・ブリンカット氏、ヨナス・ローゼ氏も加わった。研究成果はiScience誌に発表され、MITは9月22日付でこの研究を紹介した。
数百個のニューロンで「決める瞬間」を観察する
研究チームは、体重約13kgのオスと約9kgのメスのマカクザル2頭に、簡単な報酬ゲームを覚えさせた。まず画面上の4カ所のどこかに1つ目のターゲットとなる白い四角が一瞬表示され、続いて色のついた輪が現れて、その選択肢が1〜13滴のジュースに相当することを示す。同じ流れで、別の場所に2つ目のターゲットとその価値が示される。両方を見た後、サルは好きな方を見つめて選び、対応するジュースを受け取った。オスはより価値の高い選択肢を約98%の試行で選び、メスは約79%だった。この間、研究チームは、前頭前野のうち側面にあたる外側前頭前野から、オスで316個、メスで422個のニューロンの電気活動を、合計40回の記録セッションにわたって集めた。研究チームは、個々のニューロンを別々に見るのではなく、数百個のニューロンの活動をまとめて解析した。ニューロンそれぞれの活動を別々の軸として多次元の空間に表すと、集団としての活動は限られた方向・次元に沿って分布する。このような活動のまとまりを「神経部分空間(サブスペース)」と呼ぶ。二つの部分空間が互いにほぼ直角の関係にあるとき、それらは「ほぼ直交している」と表現される。
選ぶ前は「提示順」、選んだ後は「選択の結果」
この見方で結果を見ると、情報の整理のされ方がはっきりと切り替わっていることが分かる。選択の前は、最初に提示された選択肢と2番目に提示された選択肢を表すサブスペースが、提示順を軸にほぼ分かれていた。サルが選んだ後は、様子が変わる。1番目に提示されたか2番目に提示されたかではなく、「選ばれた選択肢」と「選ばれなかった選択肢」という区別に沿って、表現が再編成されたのだ。選ばれた選択肢と選ばれなかった選択肢は、元の提示順とは関係なく、それぞれ別の、ほぼ直交するサブスペースへ移っていった。研究チームは、この再編成のおかげで、下流の脳領域が意思決定の結果を効率よく読み取れるのではないかと考えている。どの位置で提示されたかを気にせず、一貫した形式で情報を受け取れるからだ。
「脳は情報をただ静的に保持しているわけではない」とリー氏は述べている。
「選択」を固定的に担当するニューロンは存在しない
もう一つ注目すべき結果は、この再編成が個々の細胞レベルでどう起きていたかだ。研究チームは、「選ばれた選択肢」や「選ばれなかった選択肢」だけを表す、固定された神経細胞の集団は見つけられなかった。その代わり、個々のニューロンは試行ごとに参加する集団を変えていた。その時の課題の内容に応じて、別の一時的な細胞集団に加わっていたのだ。この分野の研究者の間では、こうした柔軟で重なり合う符号化の仕組みは、限られた数のニューロンでより多くの情報の組み合わせを表現する一つの方法だと考えられている。ただし、今回の研究では、この柔軟性によって表現力がどれだけ増すのかを直接測ったわけではない。
この発見が研究室の外に意味すること
今回の研究は、AIシステムを対象にしたものではない。研究チームもAIを開発しようとしていたわけではなかった。それでも、この結果はAI研究者が関心を持つ問いにつながっている。AIの継続学習では、新しい情報を学習すると、それ以前に学習した情報の性能が低下してしまう「破局的忘却」が課題になることがある。今回の研究はこの問題を直接扱ったものではないが、課題の段階ごとに内部表現をその場で組み替えるという今回のような生物学的な仕組みは、状況に応じて内部表現を柔軟に再編成するAIの設計を考えるうえで、一つの参考材料になる可能性がある。さらに、今回の発見は、もっと身近な問いにも小さな答えを与えている。選択した後も、選ばれなかった選択肢は記録された活動から消えなかった。独自の、区別されたサブスペースに表現され続けていたのだ。MIT側の説明によれば、選ばなかった選択肢についての情報も保持されていることは、後から「どの選択がどの結果につながったか」を学習する際に役立つ可能性があるという。ただし、この学習の過程自体は、今回の実験で直接確かめられたわけではない。
まだ分かっていないこと
研究チームは、今回の研究の限界についても率直に認めている。実験に参加したのは2頭だけだ。課題も、はっきり異なる離散的な報酬額を持つ二つの選択肢から一つを選ぶという、単純で逐次的なものであり、現実の複雑な意思決定とは大きく異なる。価値が連続的に変化する場合や、選択肢が三つ以上ある場合、あるいは人間の意思決定そのものでも、同じような再編成が起きるのかは、まだ分かっていない。これは今後の研究が答えるべき問いだと、研究チームは述べている。マカクザルとヒトの前頭前野には、構造上の共通点が多い。そのため、こうしたサル研究は、ヒトの認知についての仮説を立てる際によく使われる。ただ、同じ再編成がヒトでも起きるかどうかを確かめるには、ヒトを対象にした別の研究が必要だ。また、今回はあくまで記録を中心とした研究だったことも忘れてはならない。神経の表現が意思決定とともに変化することを示しただけで、その再編成自体が選択という行動を引き起こしていると証明したわけではない。今後は、より多くの個体やより複雑な意思決定課題、さらにヒトを対象とした研究で同様の再編成が確認されるかが重要になる。
いまのところ、この研究は、ほとんど哲学的にも聞こえる問いに、具体的で慎重な答えを示している。「何かを選んだ直後、頭の中では何が起きているのか」という問いだ。少なくとも、単純な課題に取り組む2頭のサルの、ある一つの脳領域では、脳は二つの選択肢の整理の仕方を、下した選択を軸にそっと組み替え直している。研究が示したのは、そういうことだ。
出典: MIT News(マサチューセッツ工科大学)、iScience(Li et al., 2026)、EurekAlert!
論文情報:Li, H., Chrysanthidis, N., Brincat, S., Rose, J., Miller, E. K., “Neural subspace reorganization reflects value-based decision-making”, iScience (2026)
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