- 練習をした後に首の左側にある「迷走神経」に電気刺激を与えると、学んだ動きが数日後により上達しやすくなる可能性が、マウスの実験で見えてきました。
- もし人でも似た効果が確認できれば、将来、運動の学習やリハビリテーションを助ける方法につながるかもしれません。
- 東北大学の研究チームが迷走神経を刺激しながら脳の血液量を調べたところ、刺激の後に血液量が規則正しく増減を繰り返す「リズム」が生じることが分かりました。
- 刺激後に生じたこの血液量のリズムが大きかったマウスほど、5日後の学習成績が高い傾向がありました。ただしこれはマウスでの実験結果であり、人でも同じ効果が得られるかどうかはまだ分かりません。
迷走神経とは――脳と体をつなぐ主要な神経
迷走神経とは、首から腹部までを通り、心臓や消化管、肺などの状態を脳に伝えている太い神経のことです。脳と内臓を双方向につなぐ主要な神経の一つで、普段は心拍や呼吸、消化の調子などの情報を脳に伝える働きが中心です。
この神経を外から電気で刺激する治療法は「迷走神経刺激(VNS)」と呼ばれ、植込み型の装置を使って、薬で十分に発作を抑えられないてんかんの治療などに使われています。近年は、耳の一部を皮膚の上から刺激する「経皮的耳介迷走神経刺激」という、体を切らずに行える方法も研究されています(ただし今回のマウス実験で使われた方法とは異なります)。この刺激が脳の中で具体的に何を変えているのかは、まだよく分かっていませんでした。
マウスの実験:刺激は練習の「後」に行った
東北大学大学院生命科学研究科の陳君宇さん、生駒陽子助教、松井広教授らの研究チームは、マウスの左頸部にある迷走神経に小さな電極を取り付け、電気刺激を与える実験を行いました。マウスには、目の前で左右に動く縦じまの模様を目で追いかける「水平視機性眼球運動(HOKR)」という課題を練習させました。この課題の上達には、脳の中でも「小脳」と呼ばれる部位が深く関わっていることが知られています。
1日目には、1時間おきに15分間の練習を4回行いました。練習の直後に、刺激を受けるグループのマウスだけに20分間の迷走神経刺激を加えました。そして2日目と5日目に、改めて成績を調べました。
その結果、1日目の練習中の上達ぐあいには、刺激を受けたマウスと受けなかったマウスで差がありませんでした。ところが2日目と5日目には、刺激を受けたマウスのほうが高い成績を示しました。つまり迷走神経刺激は、練習中の成績を直接高めたのではなく、練習後の過程を通じて、後日の学習成績を高めた可能性があると考えられます。
小脳まわりの血液量が、刺激のあとにリズムを刻んでいた
研究チームは、光ファイバーを使った「ファイバーフォトメトリー」という方法で、小脳片葉という部位の周辺で、局所的な脳の血液量の変化を測定しました。すると、迷走神経を1回刺激するたびに、血液量がいったんわずかに減少し、少し遅れて増加するという、2段階の変化が起きていることが分かりました。これは血管の収縮と拡張に伴って血液量が変化したものと考えられます。
刺激を繰り返すと、この血液量の増減が規則正しく繰り返される「リズム」が生まれていました。研究チームは、こうした血液量のリズム性変動が、脳の血流や代謝の環境を調節することに関係している可能性があると考えています。ただし、今回の研究では酸素やATP(エネルギー源となる物質)などを直接測定しておらず、血液量の変化が学習を助ける具体的な仕組みは、まだ明らかになっていません。
長期的な学習には、神経細胞どうしのつながりが変化する「シナプス可塑性」など、さまざまな脳内の変化が関わっているとされ、そこにはエネルギーが必要です。血液量のリズムが脳への栄養補給に関係しているとすれば、こうした変化を助けている可能性がある、というのが研究チームの考え方です。
刺激後に生じた血液量のリズム性変動が大きいマウスほど、5日後の学習成績が高かった
血液量の「リズム」の大きさと、長期学習の関係
特に注目すべきは、刺激の直後20分間に現れた血液量のリズムの大きさと、5日後の学習成績との関係です。リズムの振れ幅が大きかったマウスほど、5日後の成績が良いという、はっきりとした相関が見られました。ただし、これはあくまで相関関係であり、血液量の変化が学習を良くした「原因」であるとはまだ証明されていません。
研究チームの松井教授は、「迷走神経刺激を練習のあとに行った点が重要です。これにより、脳が変化を受け入れやすい、いわば“隠れた好機の窓”が開くのかもしれません」と述べています。また筆頭著者の陳さんは、「私たちの脳は、自分で思っている以上に体から強い影響を受けているのかもしれません。血液量の動きを含む脳の代謝環境を調整することで、普段は眠っている力を引き出せる可能性があります」とコメントしています。
まだ分からないこと、そして今後の期待
今回の研究の結果だけからは、血液量のリズムが学習を良くする「原因」なのかどうかは分かりません。これを確かめるには、今後、血管や血液量の動きを人為的に操作しながら、学習への影響を直接調べる実験が必要になります。また、脳の中でエネルギー源となる物質そのものの変化は、今回は直接測定されていません。
さらに、今回の実験はあくまでマウスを対象にしたものであり、しかも首の神経に電極を取り付けるという、体への負担が大きい侵襲的な方法で行われています。人に対しては、耳を介した負担の少ない刺激方法がすでに研究されていますが、今回のマウス実験と同じ効果が人でも得られるかどうかは、今回の結果だけでは判断できません。研究チームは、刺激を行うタイミングや強さを工夫することで、将来的に学習やリハビリテーションを助ける方法につながる可能性があるとしています。
Xsciens編集部の読み解き
この研究の価値は、刺激で学習が上がるかどうかだけでなく、脳の血液量のリズムという、測定できる手がかりを見つけた点にあります。
- 相関と因果を分ける。刺激後の血液量のリズムが大きかったマウスほど5日後の成績が高い、というのは相関です。血液量の変化が学習を高めた原因かどうかは、血管や血液量を人為的に操作する実験が必要で、この研究では確かめられていません。酸素やATPも直接測定されていません。
- 「いつ刺激したか」が要点。刺激は練習の後に行われ、1日目の練習中の成績に差はなく、2日目と5日目に差が現れました。刺激が練習中の成績を直接上げたのではなく、練習後の過程に作用した可能性を示す設計です。
- 人への応用はまだ先。実験はマウスで、首の神経に電極を取り付ける侵襲的な方法でした。人向けに研究されている耳からの刺激は別の方法で、同じ効果が得られるかはこの結果からは判断できません。
この読み解きの参考: 東北大学大学院生命科学研究科のプレスリリース、原論文(iScience, DOI)
出典: 東北大学大学院生命科学研究科プレスリリース(2026年8月26日)、iScience誌掲載論文(Chen et al., オンライン掲載2026年8月25日)
論文情報:Chen, J. U., Ikoma, Y., Matsui, K., “Vagal nerve stimulation induces vascular oscillations and enhances long-term learning”, iScience (2026), DOI: 10.1016/j.isci.2026.117413