- 地球の磁場は目に見えない「バリア」として、太陽から吹きつける荷電粒子の流れを防いでいる。しかし月や火星は大昔にこのバリアを失っており、その理由は今もはっきり分かっていない。
- 中国の月探査機「嫦娥6号」が月の裏側から持ち帰った砂を調べた研究チームが、本物の月の岩石では初めてとなる、珍しい磁性を帯びた鉄を見つけた。
- 特殊な顕微鏡で調べると、この鉄は安定した渦状の磁気パターンを持つことが分かった。原理上、鉄ができた当時の磁場の痕跡を記録できる可能性がある構造だ。
- これはまだ研究の初期段階の成果であり、月の磁場消失をめぐる長年の論争に、単独で決着をつけるものではない。ただし研究者たちが仮説を検証するための、新しい手がかりにはなる。
消えた磁場のバリア――手がかりは月にあるかもしれない
いま、地球の内部で生まれている目に見えない磁力が、生命にとって大事な役割を果たしている。太陽から吹きつける荷電粒子の流れ、いわゆる「太陽風」を防ぎ、大気が少しずつ宇宙へ逃げてしまうのを防いでいるのだ。ところが火星には、もうこのバリアがない。月にもない。どちらも大昔には、磁場を作る「ダイナモ」を持っていたと考えられている。ダイナモとは、惑星内部で溶けた金属がかき混ぜられるように流れ、天然の発電機のように働く仕組みのことだ。このダイナモがいつ、なぜ止まったのかは、惑星科学に残る謎の一つであり、岩石惑星の内部が長い年月でどう変化するかを知る手がかりでもある。
月は、この謎を調べるのに都合がいい場所だ。火星と違い、探査機が実際に試料を持ち帰れるからだ。2024年、中国の月探査機「嫦娥6号」は、月の裏側にある「南極エイトケン盆地」内のアポロ盆地から、月の裏側としては初めて砂の採取を行った。中国科学院 合肥物質科学研究院の研究チームが、その砂に隠れていた発見を報告した。論文は2026年9月16日、米国科学アカデミー紀要(PNAS)にオンライン掲載された。
「本来ありえない」はずの鉄――小惑星の衝突が生んだ
杜海鋒(と・かいほう)教授が率いるチームが注目したのは、衝突ガラスと呼ばれる小さなガラス粒だ。小惑星などが月面に高速で衝突した際、岩石が一瞬で溶けてから急激に固まってできたものである。このガラスの中に、ナノメートル(10億分の1メートル)サイズの粒子が散らばっていた。大きさはわずか10〜140ナノメートルほどで、ほこりの粒よりもはるかに小さい。その正体は「ガンマ鉄(γ鉄)」と呼ばれる、特殊な結晶構造を持つ鉄だった。
ガンマ鉄は特別な化学物質ではなく、普段よく見る鉄とは結晶の並び方が違う、金属としては同じ鉄だ。鉄は通常、冷えると身近な岩石でよく見られる「アルファ鉄」という構造に落ち着く。一方ガンマ鉄は、セ氏912〜1394度の高温でしか安定せず、常温に下がる前に通常の形へ戻るはずの構造だ。それが常温の月の砂の中にそのままの構造で見つかったのは、研究者にとって予想外だった。衝突の直後は岩石が通常よりはるかに速く冷えて固まるうえ、粒子にごく少量含まれる微量元素の影響も重なって、変化する間もなく、この珍しい構造のまま閉じ込められたのではないかとチームは考えている。
詳しく調べた2つの衝突ガラス試料では、合わせて50個の鉄粒子のうち、ガンマ鉄が主な種類を占めていた。その割合は一方の試料で約64%、もう一方では約76%にのぼる。粒子に含まれるニッケルはごくわずかで、重量の0.8%未満だった。この低いニッケル量は、隕石やほかの月の石からすでに知られている鉄・ニッケル合金とは違う種類の鉄だと見分ける手がかりになる。
顕微鏡で読み解く、磁気の記憶
珍しい鉱物の発見自体も興味深いが、より重要なのは、この鉄が磁気的にどう振る舞うかだ。研究チームは「オフアクシス電子線ホログラフィー」という特殊な観察技術を使った。電子顕微鏡の中で、ナノメートル単位の磁気構造を直接「見る」手法だ。その結果、大きさ100ナノメートルを超えるガンマ鉄の粒子は、安定した「単一渦状」の磁気状態になっていた。粒子内部の磁気の向きが、一方向に揃うのではなく、安定した渦のように巻いているのだ。
この安定性には意味がある。形が保たれ、外部の磁場にも決まったパターンで反応する磁気構造は、科学者が「残留磁化」と呼ぶ性質――物質ができて冷えた瞬間に存在していた磁場の痕跡を長く保持する性質――を持ちうる。原理としては、地球の岩石に含まれ、過去の磁場の記録を残しているとされる鉱物と、いくぶん似ている。研究チームのロン・リー博士は、次のように述べている。
「この小さな“磁気の化石”は、月の古代の磁場の歴史をより深く理解する助けになるかもしれない」――ロン・リー博士(合肥物質科学研究院)
ただし、分かったこととまだ分からないことは、はっきり分けておきたい。確認されたのは、ガンマ鉄が実在し、安定した磁気の渦状態をつくり、磁化を記録できるという点までだ。個々の粒子が実際にどちらの磁場を記録したのか――月全体の古代ダイナモか、ガラス粒ができたその衝突自体が生んだ局所的な磁場か――は、まだ分かっていない。この2つを見分けることが、次の課題だという。
月の磁場消失をめぐる、決着のついていない論争
月がかつてダイナモを持っていたことを示す証拠はすでにある。数十年前にアポロ計画が持ち帰った、より古い月の岩石にも古代の磁気の痕跡が残っているからだ。しかし磁場の強さ、特にどれくらい続いたのかは、今も意見が分かれる本物の論争だ。嫦娥6号の玄武岩(げんぶがん、火山由来の岩石)の測定では、約28億年前でも5〜21マイクロテスラの磁場があったとされ、一部の研究者はこれをより長く続いたダイナモの証拠と見ている。一方、アポロ試料を別の手法で調べた研究者たちは、長期間の全球的磁場を示す証拠は見かけより弱く、ダイナモは誕生から最初の1.4億年ほどに限られていたと主張する。この立場では、それ以降の記録は一時的な衝突由来の磁場である可能性が高いとされる。
ガンマ鉄が将来役立つかもしれないのは、この点だ。より一般的なアルファ鉄とは異なる条件で作られ、衝突でできたガラスの中だけに現れるため、多くの試料で「記憶」の内容を比較すれば、ある信号が月全体のダイナモによるものか、衝突由来の一時的な磁場かを見分ける手がかりになりうる。
まだ始まったばかり――次に分かること
研究チームは、月のダイナモがいつ止まったかという確定年代を発表したわけではなく、ガンマ鉄だけでその時期を特定できるわけでもない。示されたのは、この磁性鉱物が実在し、ナノメートルの大きさで安定した磁気状態を保てること、そして手がかりの乏しかったこの分野にとって有望な新手法になりうるということだ。より広く見れば、月や火星のような岩石天体が内部の磁場をつくり、やがて失っていく過程を理解することは、惑星の気候や大気の成り立ちを理解する取り組みの一部であり、太陽系の外の岩石惑星の環境を評価する知識にもつながる。小さな鉱物ひとつで大きな問いに決着がつくわけではないが、研究者の手がかりが、また一つ増えたことになる。
出典: Du, H. et al.「Magnetic vortex state of natural lunar γ-Fe」米国科学アカデミー紀要(PNAS)、2026年9月16日オンライン掲載・中国科学院 合肥物質科学研究院・ScienceDaily・The Brighter Side of News